文:村上綾
–
1月15日、16日と二日間かけて、ダンサーの山田うんさんと数学者の森田真生さんによる「数学×ダンス」ワークショップがスタジオイマイチで行われました。ダンスと数学が交差するようにしてワークショップは進み、最後には講師、参加者の両方が意見を出し合って、新しいダンスの制作方法を実践して締めくくりとなりました。
15日、まずはストレッチしつつ、参加者それぞれが簡単な自己紹介。
今度は頭のストレッチということで、二人一組になって、他己紹介をすることに。生まれてからここに来るまでを相手に話します。ですが、単に他己紹介するわけではなく、二人同時に話すのです。話すことと聞くこと、インプットとアウトプットを同時に行います。それから覚えることの出来た情報をもとに、みんなにパートナーの紹介をします。しかしここで、うんさんは「間違っていてもいい」と言います。相手について、そのとき自分が感じ取ったその人を伝えればいいというのです。紹介する人が受けた印象が影響するからなのでしょう、自己紹介とは一味ちがう、やわらかな紹介に感じられました。
その次は、音楽を流しながら自由に動き、体がほぐれて温まってきたところで筋トレに突入。腹筋については、「胃を背骨に近づける感覚で」とアドバイスがあったり、他にも「胃で背骨を支えて」という表現があったり、普段の筋トレで意識するような外側の筋肉だけでなく、体の中まですべて使っての筋トレでした。印象的だったのは、四つん這いになって片腕を外して体を支える動作。ここでポイントなのは、最初の四つん這いの姿勢で4本の手足がしっかりと胴体を支えているかということで、たとえば腕は肩幅くらい開いて、まるでテーブルのように胴体を支えるのです。そして、どれか一つ支えを外したときに、残りの3本で支えようというのではなく、あたかも今もそこにあるとイメージして体を支えます。
それを受けて、森田さんが話し始めます。計算でのゼロの利用から始まって、人の体とその機能が、遺伝子が何度も忘れることで変化してきたこと、会話で相手の気持ちを気にかけることなど、「無いこと」や「見えないもの」が私たちに大きな影響を与えていることを語ります。
またダンスに戻り、舞踏のように動くということをしました。身体の中に水や砂が入っていて、それが動いて、変化するような感覚をもって踊るというものです。一人ひとり思い思いに動きます。
今度は二人一組になって、一緒にダンス。最初のお題は「適応するようにダンス」。なんでもいいから二人でルールを決めて、それに合わせて踊ります。二つ目のお題は逆に、「相手が嫌がるようにダンス」。参加者の半数ずつ踊り、その他はその様子を見ています。参加者からは、「相手が怪我しないように加減する」「適応するつもりのときより仲良くなる」、「適応するときはまた別の楽しさがある」というような声があがりました。最初よりも気にかけることが増えるようです。
数直線において表せる数は表せない数よりも圧倒的に少ないこと、論理学の話、矛盾律の話へと進みます。森田さんは、数学では、相対するものを同時に存在させていくことはできないというところから、ダンスで考える事に可能性を感じると話します。
表現力についての話題になると、少しの間、うんさんと森田さんの「公開Thinking」ならぬ「公開Fighting」となりました。参加者はしばし見守るかたちへ。うんさんは被災者の方から体験談を聞いたとき感じた「淡々と話すことの表現力の強さ」を伝えると、森田さんから「データのほうが表現力が豊かなのでは」と反論が飛んできます。さらに、うんさんは「記号化することによって薄まるメディアから感じるのと全然違う」「そのひとがホントのことを言ってる」というように主張します。
そんななか、参加者から、「聞き手の存在で話し手の表現力も変わってくるのでは」と発言があり、話は展開してゆきます。真剣に聴いてくれていたうえでの表現力で、なおかつ真剣だったからこその吸収力だったのだろう、と話は進みます。相手がいることで発揮できるものがあるのでしょう。うんさんによると、ダンスでも、舞台上で使うパワーはものすごいようで、2キロも痩せるのだとか。
初日終了後、そのままスタジオイマイチ1Fで、うんさん、森田さんを囲んで鍋をつつきました。和やかな雰囲気で、話は尽きず、解散はもう1時を回っていました。
16日は、森田さんの話からスタート。参加者それぞれ、紙とペンをもって、ある集合の部分集合集合を挙げるという簡単な問題から始めました。集合の中の要素の数と部分集合の数との関係が分かり始めると、ある集合はその集合自身を表現しようとしたとき、自分のもっている要素では表現しきれないということがわかりだします。つまり、あるシステムが自分について語ることは限界が生じるということです。これが、数学の「形式システム」の限界なのでは、と森田さんは言います。
つづいて、「形式システム」とは何か。森田さんによると、数学ではかつて、1+1=2のように、感覚で分かっているとされてきたことを厳密にしよう、という動きがありました。形式システムは、公理・語彙・推論規則の3つの要素からできています。公理は常識、語彙は使える記号、推論規則はある場合で可能になること、とでもいえるでしょうか。
まず、森田さんが例に挙げたのは「MIUシステム」。いくつかの推論規則に従ってどんどんMIUの3文字の組み合わせが変わっていくもので、規則に従えば無限に書いていくこともできます。ここで、森田さんから出されたのは、「MU」は定理か(システム内で実現可能な文字列か)という問いです。参加者は、しばらく考えて「できない」と、正解を出しました。ここで注目なのは、システムを使わず(実際に文字列を描きだすことなく)に考えて答えを導き出したことです。システムのなかで「MU」を見つけ出そうとしても、定理ではないので表れることもなく、無限に続けるだけになってしまいますが、システムを使わずに思考すると分かるのです。ここでもまた、形式システムの限界が見えてきました。
次に挙げられたのは、「pq-システム」。これはちょっと紹介しましょう。
語彙={p,q,-}
公理 xがハイフンの列なら xp-qx は公理
推論規則 x,y,zがハイフンの列で、xpyqzが定理なら xpy-q- も定理
例 (x=1)
-p-q--
(x=--)
--p-q---
xに入れるハイフンの数を変えてやってみてください。ところで、このシステム、実は私たちに馴染みのある計算の方法を記号化しているだけなのです。その計算とは何か、森田さんが皆に質問します。ヒントは小学校でも習う・・・ということなのですが。実は、pは+、qは=と考えると、単なる足し算であることがわかるのです。このように、形式に解釈を加えることで、意味が与えられます。
次に、ゲーデルの不完全性定理の例が挙げられました。命題「この命題は証明できない」を使って考えてみると、この命題自体の自己矛盾が見えてきます。
さきほどのpq-システムでは、意味の世界(足し算)でできることを形式の世界でできる(完全な形式)ようにしていました。つまりは、形式で表せる分野の拡張です。反対に、形式によって見つけた現象に意味を与えようとする、意味の世界の拡張ということも数学ではあることなのだそうです。なんだかダンスなどの芸術と、批評の関係とも似ているように思えます。
さてここでランチタイム。みんなで近くのFRANKへ出かけました。
おいしいご飯のあとは、スタジオでコーヒーブレイク。これからやることについて自然と話が始まりました。どんなダンスの実験ができそうか、午前中のトークをふまえて案を出し合います。
とりあえずやってみて、イケてないと思ったら路線変更!ということで、まずは、
① 一人で即興ダンス
→見ていたみんなで感想を出し合い、ダンサーはそれを聞く
→感想をふまえて、最初の即興と同じようにもう一回ダンス
という流れでやってみました。一通り終え、踊った側の感想は、「地図を与えられる感じ、地図のチェックポイントの近くを通ってダンスしているような感覚」というもので、見ている側の感想は「自由でなくなった」、「展開が無いように見える」、「ずっとモチベーションが同じように見えた」というものでした。ダンスは意味を与えられたことで、不自由になってしまった部分もあったようです。以下の実践にも通じることで、出された感想やイメージはところどころ共通点があることから、型破りしにくい状況になっていたことも原因のようでした。
次は、
② 二人で即興
→見ていた側の全員から感想もらい、ダンサーは一人だけ聞く
→二人でもう一回踊る
という流れで実践。みんなの感想を知っていたダンサーの意見は「言葉が邪魔して踊れなくなる」、席をはずしていたもう一人のダンサーはシュミレーションしていたようで、「起きると思ってたものが起きない」と、困惑した様子でした。
ちょっとここで戦略を変えてみようということに。次にやってみたのは、
③ 二人でルールを決めて即興、ルールは皆には秘密
→みんなで感想、二人とも聞く
→二人でもう一回ルール作りなおす。
→新しいルールで踊る。
→もう一度、感想
なんだか面白いことになってきたぞ!ということで、この流れに追加してゆくことに。見ている人にはルールのタネ明かしはしないまま、別の人にダンスを引き継ぎます。このとき、もうすでにルールを知ってしまっている人は、感想のとき発言を控えるようにしました。
④ ③の2つ目のルールで違う二人が踊る
→みんなの感想
さらに、もういっちょやってみよう!ということに。
⑤ ④の二人がルールでまた違う二人が踊る
→みんなの感想
最後に、ルールのタネ明かしをしたのち、自由に発言します。③は「自由、可能性が大きい」、④については「ルールをつくる段階」、⑤では、ダンサーも見る側も「形式を壊そうとする意志」が見えたという意見が出されました。ルールがなぞられてきたからこその破壊力で、しかし、定まっていなくて、どこか不安定だという感想も。③でのダンサーは、一度目に「音楽」(実際に音を用いた)を意識していたが、二度目の踊りの後の感想から関連する発言が出てきたことに驚いていたようです。
形式と意味との間を行き来することを、ダンスで意識的にやってみる、という貴重な体験でワークショップは締めくくりとなりました。
予定時間ギリギリでワークショップは終了。講師、参加者のみなさまは次の目的地へ慌ただしく出発されました。お忙しいなか、みなさま本当にありがとうございました!!