さる2月19日火曜日にスタジオイマイチ一階にて批評の場「MIRUMIRU」の第一回目が開催されました。「実験と批評の場」の異名を持つスタジオイマイチでは数々の実験的企画が成されてきましたが、批評という点に関してはあまり注視していなかったのではないかということで、批評する力を育てようというコンセプトを掲げ始まったこの企画ですが、初めての企画ということなので試験的な形での開催となりました。
第一回目の今回はまず「批評とは何か?」という所から話が始まりました。一体どのような条件が批評を批評たらしめているのか。ただ感想を言い合うのではなく、作品をより深く理解し、それを伝えるということはどういうことなのか。まず、作品について誰にでもわかること、作者の思惑、自分にしか気付けなかったことを言及することが批評として最低限そろえておくべき項目であり、そして第三視点的に見て作品が社会においてどのような役割を果たし得るのか、ひいてはより面白くするためにはどうすればよいかということを自分の立場から言及出来るようになることが批評としてあるべき到達点であるようです。
それから実際に数分程度の作品を見て批評するための準備段階を一つ一つ辿ってみようという事になりました。まず始めに作品を見てから、個人個人がタイムライン順に見えたものを一つずつ紙に書いていきます。紙に書いていくことでさっき見た作品の再確認と共に、記憶の整理をして自分がどのような思考の積み重ねをしていったのかが自覚的になります。そして書いた物を他の人と見比べることで、共通して見えていたモノ、自分だけに見えていたモノ、他人が指摘して初めて見えたモノが浮き彫りになり、作品の要点がはっきりとしてきます。漠然と見えていた作品の大枠の中に構造的、視覚的な観点を組み込むことで、作品内で暗示されているメッセージを読み取ることが出来るのだと思います。
その後もう一本同じくらいの短編作品を見て直接批評してみました。さっきとは違い、作品の内容を思い出しながらしゃべることになり、しどろもどろになってしまいました。作品を見た後すぐに話し合いができるようになるのがこの企画の最終目標になります。メディアの発達等で同じ作品を何度も見られるようになりましたが、一度しか見られない作品や、初めて見たときにしか感じられないこともあるので作品を見るそのつどに批評が出来るようなものの見方が出来るとよいのではないでしょうか。
一つの作品があってこその批評ですが、批評するということも一つの専門性を有した自己表現の場であり、発展を担保する系譜的技能であります。良い批評は、批評それ自体が作品としてさらに批評の目に晒され得るものなのではないかと思いました。
(別府遼太)
*注釈:
「miru^miru」は内部メンバーのみの「批評について学ぶ」勉強会として今後継続予定です
掲載できるものはときどき報告しますがしばらくは内部向けで開催します